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思い出(4)

思い出-1

昭和41年、(有)大島製作所設立当時の営業拠点は、江戸川区小松川3丁目のアパートの一室でした。
電話一本と女子事務員一人、営業は年配の坂倉さんと私の二人三脚です。助手席に坂倉さん、後部座席にハンディⅢ型(低周波1人、温熱1人)を積んでの飛び込みセールスです。東京および関東近辺の接骨院を訪問しましたが、商談できるのは昼の休み時間と夜、治療が終ってからでした。
売れるまでは帰らないをモットーの行商セールスです。

 千葉市桜木町の自宅に帰るのはいつも夜中過ぎでした。夜明けごろ家に着いて、家人が起きるまで車のなかで眠ることも度々でした。
当時の思い出は、新卒の南場さんをスカウトし、大阪から熊谷、表さん2人の若手が入社したこと。柔整師学校に学生が集まらないので、校長から頼まれて家内が無試験入学したこと。ある日、人相見に観てもらったらば、「あなたはコマの回転と同じで動いてバランスのとれる体質、止まってはダメ、動きに動きなさい。」と言われたこと。
しかし、いくら動けばよいといわれても、毎日東京と千葉の長距離往復。増えつづける千葉街道の渋滞。ついに耐えきれなくなくて、昭和46年、東京に事務所兼住宅を建設しました。今(当時)の「松江寮」です。

 自前の事務所が信用となったのでしょうか。一大転換期が来ました。
回転式マッサージ器バイターの販売です。バイターの発売元、明光通商の営業マンが、当社を尋ねてきました。接骨院の東日本の総発売元になって欲しい。
バイターは今までの指圧式マッサージと違って、パットが回転するため広い範囲に血液循環が改善するアメリカ式の特許マッサージ器です。しかも信用で保証金は不要とのこと、その場で承諾しました。
バイターは飛ぶように売れました。プロの販売員がつぎつぎと入社しました。最盛期には月に450~500台売れました。定価は39,800円。定価販売厳守が売買契約の条件です。

この夢のような時代が3年後の昭和49年の本社設立へとつながりました。


                  思い出-2

(注釈)
当時「バイター」を始め、足踏み用マット「ホスパーマット」などの商品が、接骨院や理美容店に多数売れました。
文章の内容は、当時の時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しましたことをご了承願います。

http://www.ooshima.me


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